コーヒーを飲むことが趣味じゃなくて日常になってた話

  •  
  •  コラム
  •  コラム

コーヒーの蒸らし

コーヒーが趣味から日常へ

新しいコミュニティに入るとか、転職とかが理由で初めて会う人と何か話を始める糸口として、趣味の話があると思います。自分は多趣味というか、色々と手を出しているので心の底から”〇〇が趣味です”と呼べるものが本当のところは無いのですが、その色々手を出している中の一つにコーヒーをカウントしているので、”コーヒーが趣味です”と今まで言っていました。

ただ最近、コーヒーを飲むことが趣味というよりは日常的な動作になったかなと感じています。毎朝歯を磨くのが趣味、という人がいないように、毎日ルーチン的にコーヒーを飲んでいることを趣味というのもおかしな話かなと、そういう感じです。スペシャルティコーヒーをハンドドリップで飲む、というこだわりはあり、それを踏まえるといかにも趣味に昇華される感じがしますが、それすらも内包して日常的なものになったので、やっぱりコーヒーを飲むこと自体がもう”日常動作”としか言いようがありません。

なんだかコーヒーを飲まないといけない気がする

日常レベルまで落とし込まれると、なぜコーヒーを飲んでいるのかが自分でもよく分からなくなってきます。朝起きたらコーヒーを飲む、夕方になったらコーヒーを飲む、というのが一日の生活に無意識のうちに組み込まれています。その、コーヒーを飲むという日常の無意識の中で意識的に分かっていることは、コーヒーを飲むことを止めると頭痛がするということと、コーヒーを飲むことで仕事が捗る(気がする)ということです。

コーヒーを欠かすことで頭痛が起こっても、すぐにコーヒーを摂取して頭痛を収めるので、頭痛が起きるとそれがどのくらい長く続くとか、頭痛以外にも何かが起こるのかとか、そういったことも分かりません。また、コーヒーを飲まない場合、飲んだときよりと比較して仕事の効率がどれくらい上がるのかも分かりません。でも、飲まないよりも飲んだほうがデメリットに遭遇しない可能性は高いので、やっぱり飲んでおいたほうが良いように感じます。

コーヒーを飲み始めた当初はそういった気持ちで飲み続けていたわけではありませんでしたが、どこかのタイミングでデメリットを享受しないためにも意識的にコーヒーを飲むようになり、それがだんだんと機械的になってきて、それが極まって無意識のうちに毎日コーヒーを飲むようになっているのかもしれません。いま、コーヒーを飲む理由について意識しているのに無意識というのも変な話ですが、日常的コーヒーを飲むときにはこういった思考プロセスは挟まないので、やっぱりコーヒーを飲むことは、眩しかったら目を閉じるくらいの無意識まで落とし込まれている気がします。

コーヒーに対して一周回った感

ただ、それはある意味でいうと一種の到達点のような所に達したのかなあとも感じています。子供の頃、初めて自転車にまたがったときは補助輪なしでは自走出来ませんでしたが、やがて補助輪が必要なくなり、手放しでも運転できるようになり。普通に自転車を漕ぐときに倒れないよう体の重心を常に意識する、なんてことしている大人はいないと思いますが、そんな具合で朝起きたらお湯を沸かしてコーヒーをドリップし始めるという行為が、体に馴染んでいるのだと思います。

ただ、日常的なものになったことで、初めてスペシャルティコーヒーを飲んだときのような新鮮さはもうありません。コーヒー豆を選ぶときはなるべく美味しそうなものを選びますし、美味しかったら美味しいと感じますが、それ以上何かが起こることはありません。次も同じお店でコーヒー豆を買おう、とは思いますが。美味しいと感じたことで、その先の何かアクションに繋がらないあたり、やっぱり趣味ではなく日常になったんだなあと感じます。

私は2年おきくらいに引っ越しをしているのですが、その度に住環境が変わるわけで、それによって新しくやるようになったこと、やらなくなったことがこれまでいくつもありました。環境が変わることでやり辛くなったとか、その程度の理由ですが、日常動作というものは無意識で行える反面、その程度の理由でやらなくなる可能性があるものなので、もしかすると何かの拍子でパッタリとコーヒーを飲むことを止めるときが来るのかもしれません。

その時はきっと特に感慨深さとか無いんでしょうが、今そのシーンを想像すると、漠然と不安を感じます。これはまだまだ、コーヒーを欠かすことで発生する可能性があるデメリットについて未知で理解が及んでいないせいでしょうか。

コーヒーはもはや日常

明日も朝起きたら自然とコーヒーを飲むでしょうし、明後日もその次の日もそうでしょう。勧められたからでもなく、脅されたからでもなく、淡々と毎日のコーヒーを摂取していくんだと思います。毎日美味しいと思って飲んでいますが、特別な感動とかは無く。いや、美味しいコーヒーを飲むことが日常になれば、感動しないのも仕方がないでしょうか。

・・・とまあ、最近趣味の話をする事があって、そもそも自分にとって趣味ってなんだろう?というところから、自分にとってのコーヒーの立ち位置について整理したくなったので、今回ちょっと色々書いてみました。というか少し前にも同じようなこと書いた気がします。取り留めもなく、だらだら書きましたが、詰まるところ、コーヒーとは熟練の夫婦みたいな付き合い方になりつつある、という感じです。良くも悪くも平坦というか、それが普通というか。

これが悪いことかと言うと、そうは思いません。そんなものだろうと思います。今日も初めてのお店でコーヒー豆を買ってきて、夕方になったら機械的にドリップして美味しく飲んで、ただそれだけです。

コメントを残す


CAPTCHA