なぜコーヒーを日常的に飲み続けるのか。たぶん、体験を楽しんでいる

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コーヒーの好みの変遷

日常的にコーヒーを豆から挽いて飲むようになってから7年くらいでしょうか、それなりに時間が経過しました。飲み始めた頃は、その時住んでいた場所近くのコーヒー豆屋さんで、中深煎りくらいの”いかにもコーヒー”というコーヒーを中心に飲んでいました。しばらくはそれで満足していたのですが、舌が肥えていくうち徐々に美味しいコーヒーを探す様になり、スペシャルティコーヒーを中心に飲むようになってからは、浅煎りのコーヒーをメインに飲むようになりました。

浅煎りのコーヒーをメインに飲み始めたばかりの頃は、新しいコーヒーの世界を見つけた気がして楽しかったのですが、割と早い段階で慣れてしまい、飲み飽きてきました。それからは焙煎度には拘らず、品質が良くてなるべく飲んだことのないコーヒーを飲むようにしていましたが、最近はなんだか、自分が何故コーヒーをこれほどまでに飲んでいるのか、少し分からなくなってきました。

美味しいからコーヒーを飲んでいる?

美味しいコーヒーというのは、人によって様々だと思います。苦いのが好き、酸っぱいのが好き、ベリー系の香りが良い、土っぽい香りが良い、焙煎したてが良い、焙煎から少し置いたほうが良い、といった味の傾向以外にも、コーヒーの品質の差というのは確実に存在すると思いますが、人間の口に入るとき、それが絶対値となって評価になるとは限りません。これはコーヒーに限らず言えることかと思います。

では、自分にとって美味しいコーヒーとは何なのかと考えたとき、今は即答できる自信がありません。一昔前だったらエチオピアのモカ、と言ったと思います。しかし今、エチオピアのコーヒーを飲んでみて、たしかに美味しいのですが、この美味しさを能動的に求めているかというと、何か違う気がします。コーヒーでなくてもこの味を求めるか?と言われると、そうしないような気がするわけです。

コーヒーを日常的に摂取していると、カフェインによるブースト効果が実感できます。逆にコーヒーを摂取しないと、カフェイン切れによる頭痛が起こることも重々分かっています。1日でも飲まない日があれば、確実に頭が痛くなります。つまり、頭痛を回避するためには毎日コーヒーを飲まないといけません。そうなるとなんだか、ブースト効果&頭痛を起こさないためにコーヒーを飲んでいて、コーヒーを飲むからには美味しいほうが良い、という基準に無意識のうちになっているのではないかと思うのです。

また単純に、生活ルーチンに組み込まれているから飲み続けている気もしています。私は結構、時間帯ごとにやることを予め決めているタイプで、特に休みの日は午前中はこれ、午後はこれ、夜はこれ、という基本フローがあります。コーヒーは朝起きてすぐと、夕方17時前後の2回と決まっていて、特別予定がなければ、それがブレることはあまりありません。つまり、コーヒーが美味しいとか美味しくないとかいう以前に、生活フローにコーヒーを飲むというタスクがあるから飲んでいる、という側面があるのではないかという気がしています。

なんのためにコーヒーを飲むのか

初対面の人に趣味は?と聞かれると、いくつかある趣味のうち、コーヒーを飲むこと、と真っ先に言います。ただ、何故そんなにもコーヒーを飲むのか、と聞かれたら、美味しいからとは素直に言えない気がしています。なんというか、美味しいとか美味しくないとか、純粋に楽しむ領域はもう通り過ぎた気がしています。前述したとおり、カフェイン摂取による影響やルーチンとなっているという側面のほうが強く感じます。

それ以外でコーヒーを飲み続ける理由があるとすれば、このサイトの存在でしょうか。このサイトは自宅で美味しいコーヒーを飲むことをの探求を目的として立ち上げました。はじめは勿論、コーヒーの美味しさに感動したことが原動力だった部分はありましたが、では感動を失った今、これから積み上げていくものが誠実なものではなくなるかと言うとそうとは考えていません。

方法論を探求するにあたって、そもそも毎日のコーヒー1杯1杯が美味しくて感動してたまらない、という点は関係ないと思いますし、記事の作成も手を抜いているということは無いので、たとえ情報発信のためにコーヒーを飲み続けているとしても、なんら問題はないと思っています。

コーヒーを飲むことは、キャンプ前の気分と同じ

コーヒーを飲むうえで何か良いと感じている部分を強いて言うのであれば、コーヒーを飲むフローを楽しんでいるのかもしれません。美味しいコーヒーを飲もうと思ったとき、まずは品質の高いコーヒー豆を扱っていそうなコーヒー豆専門店を探して向かいます。お店に並んだコーヒー豆が入ったショーケースには、聞いたことのない地域やコーヒー農園の名札がくっついていて、つい飲んでみたくなるようなお店のカッピングコメントが添えられています。

いくつもの種類があるうち、見た目や名前から味わいを想像しつつ、その日の気分やローテーションにあわせてコーヒー豆を選んだら、袋に詰めてもらって家に帰ります。家に着いてコーヒーの袋を開け、広がるコーヒー豆の香りを楽しみながら味わいをまた想像して、お湯を沸かしてコーヒー豆を挽いて、コーヒーをドリップしてカップに注ぐ。

コーヒーを飲むまでの、ワクワクさせてくれるこのフローが楽しみなのかもしれません。実際、最近引っ越ししたので新しくコーヒー豆の購入先を探してあちらこちら歩いているところですが、初めて足を運んだお店でコーヒー豆を購入したとき、前述したようにワクワクした気持ちになれました。

これはなんだか、キャンプに行く前のワクワク感に似ている気がしてきました。キャンプの場合、実際にキャンプ地について準備を始めると、帰った後の片付けの事が頭をよぎり始めるので、キャンプに行く前が一番純粋に楽しかったりします。それと同じ様に、私にとってコーヒーは飲むことが楽しいのではなく、飲むまでの体験フローが一番楽しいのかもしれません。

さいごに

長いひとり語りになりましたが、少しモヤモヤが取れてスッキリしました。なんやかんや言いましたが、これからもコーヒーを欠かさず飲み続けるとは思います。ただいずれ、何らかのパラダイムシフトが自分の中で起きて、コーヒーとの付き合い方がまた変わっていくのかなと感じています。モラトリアムの終わり的なイメージで。

なんとなく続けている事って誰にでもあると思うのですが、そもそも何故続けているのかを考えると、理由がイマイチ分からないことも結構あるのかなと感じました。私のようにそもそも何となく生きていて、多趣味な人間は特にその傾向があるんじゃないでしょうか。まあ、何かをやるのに理由がいるか?って考え方も全然あると思いますが。

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